ペルソナ

親しい人の家に行ってその人の、
違う一面を見て驚いたことはないだろうか?

「こんな一面があったのか」
そうびっくりさせられることがよくあります。

家の中と外では顔つきから話し方まで変わる、
言ってみれば誰もが仮面をつけて生きています。

この社会での表向きの顔を「ペルソナ」と、
ユングは名づけました。

人は役割に応じて仮面をつけかえて、
その人格を演じているところがあります。




















例えば教師らしく振舞ったり、警察官らしく、
会社員らしく、時には不良らしく装います。

固執しすぎて、仮面をはずせなくなるとちょっと困りますね。
それだけでなく本人の自我が危機にさらされもします。

しかし人間はいくつもの顔を持つことは普通なのです。
『私はこういう人間だ』

そんな風にとらわれないで、意識的に仮面を取り替える・・
そんな気楽さが精神的な健全さをもたらします。
               (第415話)

一つぶの砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見
手のひらに 無限を乗せ
一時のうちに 永遠を感じる
        ウィリアム・ベレイタ

# by cg-jung85 | 2009-11-19 19:06 | Trackback | Comments(2) 

真理は一つ?

真理は一つだと云うこと・・
それは本当でしょうか?

例えば1+1=?
そう聞かれたら答えは2です。

でも「これからどうして生きていくの?」
そう聞かれたら答えは一つではありませんね。

「生きるとは? 死ぬとは? 死後の世界は?
 神様はいるの?」
このような疑問に対して答えは一つではありません。

私はこういう人間だとか、
あなたは良い人だとか、悪い人だとか、
一言では言えません。

フロイトは二元論と言って、
物事を対極する二つのものとして考えました。


しかし弟子のユングは分からないことは、
分からないままにして置く・・そんな姿勢の持ち主でした。

きっとそれは、
心理学ではないと批判する人もいるでしょう。

人間はこの世の無限のもの、大いなるものと
結びついていると思iいますか・?
このような問いにあなたはどんな答えを出すでしょうか?

一ついえることは、
無限のものが人を導いていることを理解できたとき、
人は真にその生命を生きることになると言うことです。
            (第414話)

# by cg-jung85 | 2009-11-16 20:00 | Trackback | Comments(0) 

つながり

人には三つのつながりがあります。
一つ目は、他者との暖かなつながりです。

二つ目は、自分自身との確かなつながり、
そして三つ目は、大いなる者との深いつながりです。

この三つのつながりをなくしたとき、
人は死にます。

「あなたは何故、生きていますか?」
そう質問されて答えが出せなければ、
その人は自殺傾向があるのかも知れません。

私たちは答えを出さなければならないと思いますよ。
人はどこからきたか?
何をするためにここにいるのか?
これからどこに行くのか?


人は自殺を考えたとき、
心理的に一度は死にます。

このとき、誰かとつながっていれば、
物理的な死を向かえることはありません。

彼らにお説教は役に立ちません。
議論も励ましも何の役にも立たないのです。

同じ土俵の上で、同じ思いを分かってあげること・・
  つながり・・
    それが人を癒します。
            
              (第413話)

# by cg-jung85 | 2009-11-13 11:14 | Trackback | Comments(0) 

傾聴

私があなたに話を聞いてほしいとき、
あなたがアドバイスを始めたら、
あなたは私のしてほしいことに応えていません。
私があなたに話を聞いてほしいとき、
あなたがなぜ私がそう感じるべきでないかを
言い始めたら、あなたは私の気持ちを踏みにじっています。

私があなたに話を聞いてほしいとき、
あなたが私の問題を解決するために、
何かをしなければならないと思ったら、
おかしいかもしれませんが、
あなたは私の期待に反しています。

聞いてください!
私がしてほしいことの全ては、
お話をしたり何かをしたりするのではなく、
私の言っていることを聞いてほしいだけなのです。

アドバイスは安っぽいだけです。
10セントの新聞でそれは十分得られます。

私が自分ででき、する必要のあることを、
あなたが私のためにしてくれたら、
それは私の弱さを助長し、立ち直りを遅らせます。



しかし、それがどんなに理性的でなくても、
とにかく私がそう思っているということを、
あなたが受け入れてくれたら、
私はあなたを納得させようとすることを、
止めることができます。

そしたら理性を失った自分の後ろに、
何があるのかを自分自身で理解しようと
冷静に考えることが出来ます。
そして、そのことがはっきりしたら、自分でその答えが、
出せるのでアドバイスは必要ないのです。

理性を失った感情の後ろに何があるのか分かったら、
この感情は意味を持つことになります。

時に誰かのために祈りが叶うのは、
神が沈黙しアドバイスしたり修正したり、
しないからかも知れません。
ただ話を聞き、自分自身で出来るように促すのです。

だから、どうか私の話に耳を傾けてください。
そしてもし、あなたが話したいと思ったらあなたの番まで、
ちょっと待ってください。私はあなたの話を聞きます。
         ラルフ・ラグトン M、D、

                 (第412話)  

# by cg-jung85 | 2009-11-11 20:54 | Trackback | Comments(2) 

想像が苦しみをつくる

神経質な人が苦しむのは想像力が豊かだからです。
例え話しをしましょう。

私の母は好奇心が強く田舎から大阪に出てきたとき、
百貨店に行くのが趣味でした。

大きな百貨店にはエレベーター・ガールがいて、
次の階を親切に教えてくれます。

最上階のレストランで食事を済ませ、
階下に降りてくるときエレベーター・ガールは、
「次は六階でございます。お降りの方は、
お知らせください」そう聞きます。

すると母はニッコリ笑って返事をするのです。
しかし六階では誰も降りません。

エレベーター・ガールは丁寧にお辞儀をして、
「次は五階です。お降りの方は?」
そう聞くと母はまたニッコリ合図します。

私は母に、「笑うと次に降りることになってしまって、
迷惑だからやめなさい」そう言いました。


すると母は「あのきれいな女性が笑いかけるから、
私はただ挨拶をしてるだけだよ」そう言うのです。

結局、四階も三階も二階も母は合図し、
私はその都度、恥ずかしい思いをして、
逃げ出したい気分でした。

母は田舎者だからきっと恥をかくだろう?
今度こそエレベーター・ガールは怒ってしまうに違いない。

だけどエレベーター・ガールは叱りもせずに、
ニッコリ幸せそうに微笑みました。

苦しんだのは私一人でした。
エレベーター・ガールも母も楽しんでいたのです。
私は想像することで苦しみをつくっていたのです。
        (第411話)

# by cg-jung85 | 2009-11-07 22:52 | Trackback | Comments(0) 

コントロールできないこと

よくよく考えると、
私たちの回りはコントロール出来ないことだらけです。

明日の天気も自分の意志どおりにならないし、
他人も自分の気嫌も思い通りになりません。

どんなに健康に気を使っても病気になるので、
自分の健康も寿命もコントロールできません。

「今すぐ怒れ」と言われても怒れないし、
喜べと言われても喜べませんね。

幼いときに「感謝しなさい」と言われても、
感謝できなかったのは感情はコントロールできないからです。


絶望とか不安とか恐怖感とか・・
私たちは感情に責任はもてません。

・・今夜の言いたい事はこうです。
「コントロール出来ないことと戦うのは、
 無駄な努力だということ。
 あるがままを受け入れるしかありません」

そう考えたら、今ある幸せが自分の力ではなく、
与えられたものだという謙虚さが、
生まれてくるのだと思います。
         (第410話)

# by cg-jung85 | 2009-11-04 22:19 | Trackback | Comments(2) 

愛と依存

愛と依存性は無視できない問題です。
愛情を得るためには、
狂言自殺や極端に落ち込んでしまう人たち・・・

心理家は、その人がいないと生きれないなら、
それは愛と言うより必要性の問題だと言うでしょう。

そこには選択の自由はないし、
一人でもやっていけるという自立性もない。

この特徴は赤ちゃんのように世話されたい、
保護されたいと言う欲求です。

大人になっても誰かがいないと、
悩んだり働けないなら、
その依存性は病的だと疑っていい・・?


幸せでないと他人のせいだと思ってしまう癖があって、
思い通りにいかないと腹を立ててしまいます。

この受動的依存的な人のよくみられる障害が、
麻薬とアルコールの依存です。

彼らは人に対して中毒的なので、
むさぼる人がいないと酒瓶や薬を代用品にするのです。

依存性が愛と間違いやすいのは、
人間関係を結びつけるからでしょう。

与えるよりは与えられることを求め、
成長よりは幼児性を離れないのです。

(第409話)

# by cg-jung85 | 2009-11-02 20:18 | Trackback | Comments(0) 

汝自身を知れ

「汝自身を知れ」
今も昔も、この言葉の真理は変わりません。

どんな宗教も哲学も心理学も、
「自分を知る」ことの重要性を説いています。

では自分とは何か?
自分の体も含めて物質世界はすべて、
分解できない極小単位から出来ています。

それらがたえず生まれては消えて、
組み合わさって存在します。

では心のプロセスは何か?というと、
意識であり知覚であり感覚であり反応です。

まるで川の流れのように、
常に移り変わりながら存在しています。

「川」は存在しません。
私たちが川と呼んでいるものは、
実はたえまない水の流れです。


ローソクの炎は芯から生じた炎が次から次へと、
燃えていて一瞬たりとも止まってはいません。

同じように「私」とは、
流れ続けるプロセスに過ぎません。

私たちは誰もが休みなく変化する微粒子の流れであり、
意識、知覚、感覚、反応が組み込まれています。

そして心のプロセスは体のプロセスより、
高速で変化します。

これが「汝自身を知れ」に対する答えであり、
宇宙の真理です。

今の喜びや悲しみは永遠のものではなく、
明日は今日ではないと言うことが、
体験を通して分かることが悟りなのでしょう。
         
            (第408話)

# by cg-jung85 | 2009-10-31 11:25 | Trackback | Comments(0) 

スプランクニゾマイ

ある女子高校生がいました。
みんなからは素直で良い子だと云われています。

彼女は先生の前での顔、親の前での顔といろんな顔があります。
一人になって仮面をとると自分の顔がなかったと言います。

素直な良い子とは⇒相手にとって良い子です。
反対に自分に対して素直だと⇒我がままな子になります。

この高校生は自分に対して素直に生きてこなかったのでしょう。
他者に対して素直に育ったために、自分が創れなかったのです。

カウンセリングでは、そんな少女が、
自分が主人公であると言う時間を積み重ねていきます。

結局、自分の怒りや我がままに対して、
どれだけ守ってもらえるのか?



旧約聖書では相手の気持ちになることを、
スプランクニゾマイという言葉を使って表しています。

似た言葉は沖縄語で肝苦(チムグル)と言うそうです。
”内臓ぐちゃぐちゃ”そんな意味になるのでしょう。

励ましや慰め、可哀想ではありません。
”内臓ぐちゃぐちゃ”

そんな思いで顔のない人の話に沿っていきます。
自分のなかった辛さ、痛みを分かっていきます。
相手が自分自身を取り戻せるまで・・
          (第407話)

# by cg-jung85 | 2009-10-26 00:03 | Trackback | Comments(0) 

暗示の効果

「お前は、わんぱくだ」
この言い方は元気になりなさい・・
と言うより効果的です。

人をおとしめたいなら、
「元気そうだね」というよりも、
深刻そうな顔で「大丈夫?」
そうささやくことです。

人間は誰でも「被暗示性」と言う性質を持っています。
暗示を受けるのは、
他人の言葉や自己暗示によるものだったりします。

暗示はほとんどの場合、
「あなたはOOである」と言います。
催眠術師は、
「ほら、頭に手がくっつき始めましたよ」
そういいますね。

「OOしましょう」とか、
「OOしなさい」と命令しません。
暗示は、命令や教育よりも強力な介入です。

人は権威的な指示には反対しても、
自分の意志だと錯覚してしまう暗示には、
抵抗さえ出来ないでいるのです。
           (第406話)

# by cg-jung85 | 2009-10-23 18:19 | Trackback | Comments(0) 

< 前のページ 次のページ >